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日本再生可能エネルギー総合研究所は、再生可能エネルギー普及のための情報収集と発信を行っています。

リポートReport

 2012. 7. 6 現地ルポ:世界最大の原発跡地を見る。
            旧東ドイツ、グライフスヴァルト原発の今、part2「 中間貯蔵施設と地元の町」
                                    

1.中間貯蔵施設の建設と使用開始

 1990年に廃止が決まり、5年の停止作業を終えた後に、1995年政府の許可を待って、このグライフスヴァルト原発基地の解体作業が始まりました。

 原発基地での解体と除染が進む一方で、ここにたいへん重要な施設が建設されました。それが中間貯蔵施設です。ドイツ語で「Zwischenlager」まさしく、「Zwischen:中間」+「Lager:貯蔵」そのものの名前です。この中間貯蔵施設は、ドイツ北部にあることからさらに北を意味する「Nord」が加えられ、「Zwischenlager NordZLN)」と命名されました。

 施設は、原発の敷地内に240億円の巨費を投じて建設されました。そして、1999年から、隣接した原発の使用済み燃料を保管する作業が始まりました。

 
  (中央やや右が、中間貯蔵施設 Zwischenlager Nord)

 廃止決定当時、この原発には5000本を越える使用済み、使用中の核燃料が存在していました。使用前の燃料も百本単位でありましたが、それは他の原発に売却されました。

 まず核燃料は、冷却用プールで4年間冷やされた後に、2年間かけていわゆる湿式の貯蔵プール(原発の3号機エリア)へと移されました。その後、1999年からは、乾式の貯蔵となるキャスクへと収める作業を行った後に、中間貯蔵施設へと移送されました。これらの作業が終わったのは2006年です。


 (使用済み核燃料を詰めたキャスクの中間貯蔵施設への移送:EWN社のWEBより)

2.ドイツの中間貯蔵施設

 ドイツの中間貯蔵施設がどのようになっているか概観しておきます。

 ドイツでは、原子力法で原発関連の細かい規則が定められています。中間貯蔵施設も当然ですが、保管する物の種類、放射線量、保管の方法、期間、建物の強度などが決められています。

 特に建築物の防護では、地震、爆発による衝撃波、洪水、飛行機の墜落などに耐えられることが要件となっています。取材を行った中間貯蔵施設の場合も、飛行機の墜落に備えて屋上は1.5mのコンクリートで覆われているということでした。しかし、施設に反対する市民団体は、テロに耐えられないという調査委報告を出すなど議論の対象となっていました。


 (中間貯蔵施設の外景)

 ドイツの「中間貯蔵施設」の定義は、熱の発生が続く放射性廃棄物と放射線を発する核燃料の保管で、「最終処分場」へと移す前のまさに中間的に保管しておく場所となります。キャスク(保管と輸送の両用)という容器に詰められた高レベルの放射性廃棄物は、ここでおよそ40年間保管され、自然に冷やされます。

 ドイツでは原則として原発のすぐ近くに中間貯蔵施設が作られます。これは、危険な高レベルの放射性廃棄物を長距離移動させることの危険性やコストを考えればごく当然の処置でしょう。もちろん、ばらばらに置くことで中間貯蔵施設がたくさん必要となることとの費用のバランスはドイツでも議論になっています。

 実は中間貯蔵施設は、原発の無い場所にも作られています。これは「中央中間貯蔵施設」と呼ばれ、規模が大きいものです。最終処分場の候補地にも作られているため、最終処分との関連も想定できます。

 さらに、「分散型(地方)中間貯蔵施設」という種類もあり、この旧グライフスヴァルト原発にある中間貯蔵施設(ZLN)が、これに当たります。

 それぞれの施設数は、以下の通りです。

 ・一般的な中間貯蔵施設(ドイツ語では「現地中間貯蔵施設」) 13か所

 ・中央中間貯蔵施設 2か所

 ・地方中間貯蔵施設 2か所

 それぞれの施設では、キャスクの保管許容個数が決まっています。

 現地中間貯蔵施設では80〜200個弱、中央中間貯蔵施設では420個、地方中間貯蔵施設では80〜158個です。現地中間貯蔵施設は、ほとんどが2000年代の後半に完成しており、保管数は上限の1〜3割程度です。

 ただし、今回取材を行ったグライフスヴァルト原発跡地では、80個の上限のうち69個までが持ち込まれており、もうあまり余裕がありません。

3.中間貯蔵施設の性格、日本とドイツの違い

 まず、日本とドイツの中間貯蔵施設の定義が若干違っていることをお話ししておきます。ドイツでは使用済みの核燃料はすべて廃棄処分になるため、まさに最終処分場へ運ぶ前の中間的な置き場ということになります。

 一方、日本では「核燃料サイクル」の考え方から使用済み燃料は、まだ使える燃料であって、廃棄物ではありません。それを再処理しさらにそこで発生した高レベルの放射性廃棄物を最終処分するということです。六ヶ所村の再処理施設が稼働していないため、使用済み燃料がそれぞれの原発内のプールに貯められており(湿式の貯蔵)、満杯になりつつあります。よって、それらをキャスクに詰め替えて(乾式の貯蔵)、どこかの施設にいったんおいておく必要があり、その施設を「中間貯蔵施設」と呼んでいます。

 ただし、現在「核燃料サイクル」の見直しが話し合われているため、結論によっては「中間貯蔵施設」の在り方も変わってくる可能性があります。

4.中間貯蔵施設の規模と役割

 実は、グライフスヴァルトの中間貯蔵施設ZLNは、キャスクなどの高レベルの放射性廃棄物を保管しているだけではありません。
 施設には、解体と除染の作業に密接に絡む役割があります。

 まず、建物そのものを見ていきましょう。

  建物の面積: 2万平方メートル 240m×140m×高さ18m

  収容ホールの数: 8つ  収容可能重量: およそ11万トン


(中間貯蔵施設の見取り図 縦長の8つに分けられたホールがわかる。
 一番左の濃い青が第8ホール、高レベル放射性廃棄物を入れたキャスクが保管されている。
 EWNのWEBより)

 巨大な原発基地の中でも、十分大きいと感じる建物でした。

 また、キャスクの移送がスムーズに行えるように貨物列車が建物の中へ直接乗り入れることが可能になっています。つまり、建物の中に線路が走っているのです。

 厳しいセキュリティとなっている原発跡地の中でもさらに2重3重のチェックが行われています。銃を携帯したガードマンが犬を連れて警戒に当たっていたのが印象的です。

 8つあるホールのうち、いわゆる高レベル放射性廃棄物の収容スペースは第8ホールだけです。大きさも全体の8分の1程度です。ただし、他のホールとはさらにセキュリティも段違いに厳しく、私たちも中に入ることが許されませんでした。

 実は、この中間貯蔵施設のもう一つの重要な役割は、解体や除染を効率的行うために、解体した設備などを一時期仮置きするスペースとして使われているのです。

 例えば、第7ホールには、原子炉格納容器と蒸気発生器がほぼ原形のままずらりと並べられています。これは、これらの大型設備の放射線量が非常に高いため、すぐには解体、除染処分ができないためです。およそ50年間このまま保管され、線量が自然に下がってから切断、除染が行われます。

 ここの保管されているのは、グライフスヴァルド原発で稼働していた5つの原子炉容器と近隣にあった東ドイツの原発1基の原子炉容器の合計6つ、さらに蒸気発生器が20数個です。


 (第7ホール内の蒸気発生器 放射線量が高いため、特殊な塗料が塗布されている。)

5.原発解体と除染専門企業EWN

東西統一の陰で原発が突然廃止と決まり、原発を運転していたEWNEnergieweke Nord)社は、社員の6割をリストラしたうえで、なんとか解体除染専門会社として生き残りました。もともと5千人いた社員は現在はおよそ5分の1の千人です。2000年にはドイツ連邦経済省の100%子会社になって、ドイツの原発廃炉政策と解体産業の先兵となって海外でも活躍をしています。

22年前の廃止決定当時を知る社員もまだ多く残っており、時折り複雑な表情を見せることもありました。彼らに共通しているのは、運転当時からの技術的な誇りをいまだに持ち続けていることです。そして今は「原発の解体除染」という分野で世界に先駆けたノウハウを手に入れその自信を隠そうとしません。

チェルノブイリ事故後の現地の除染や東欧諸国を中心とした10基に迫る原発の解体プロジェクトを抱えています。また、10隻を越えるロシアの原潜の解体を一手に引き受け、すでに50数隻の原子炉解体を終えています。

6.原発の地元の町はどうなっているのか。〜経済への不安

時期は全く違いますが、地元の町の心配は大きく分けて2つありました。

ひとつは、地元の経済です。原発の廃止が決まった時、5千人の運転関係の労働者と新しい原発を建設していた1万人が職を失う危機に瀕していました。かろうじて、一部雇用は残りましたが、結局、地元で続けて働くことができたのは、わずか2千人でした。地元の自治体は経済破たんの危機にありました。

経済対策として、原発解体会社と地元の自治体は一つのアイディアを実行しました。原発跡地の工業団地としての利用でした。残った広い敷地と送電線などのインフラ、原発の建物の再利用を考えたのです。

旧原発の敷地がある地元の小さな町のひとつルブミンにちなんで、ルブミナーハイデ(Lubminer Heide)と名付けられた世界初の原発跡地に作られた工業団地には、その後多くの企業が誘致されました。原発の冷却水の排水路を利用して本格的な港が国の援助で建設されたのも大きな追い風となりました。

現在、風力発電関係など30を超える企業が軒を並べます。中でも、原発の発電設備であったタービン建屋はその長さと大きさ(長さ1.2km、高さ30m)を生かして、風車のタワーなどを製造する工場に使われています。まさしく原発の建造物のリサイクルです。


 (手前が、1.2kmに及ぶタービン建屋 裏に煙突が見えるのが7,8号機用の原子炉建屋)


 (洋上風力用の巨大風車タワーの溶接工場、タービン建屋を利用している。)

7.原発の地元の町はどうなっているのか。〜中間貯蔵施設への不安

原発の敷地は3つの小さな町にまたがっていました。そのうち一番人口の大きかったルブミンでも、人口は2千人あまりです。この町は美しく長く続く砂浜を持ち、旧東ドイツ時代から海岸リゾートの町として賑わってきました。原発がストップした後、当然のように町は再び観光の町としての発展を考えました。

町の地道な努力は少しずつ実を結び、今では年間5万人を超える観光客が訪れるようになりました。しかし、一方で新たにできた中間貯蔵施設の存在がその発展に水を差す事態も現れています。特に、2010年、11年と2度にわたって行われた貯蔵施設へのキャスクの列車輸送は、ルブミンを「中間貯蔵施設の町」という印象を植え付ける役割を果たしました。ドイツ全土から反対派と警備のための大量の警察官が集まり、町は騒然とした事態に陥りました。実際に、キャスク輸送の前後はホテルなどのキャンセルが相次いだと言います。

また、分散型中間貯蔵施設という一種特殊な位置づけの中で、隣接する旧原発以外からの高レベル放射性廃棄物を受け入れることが決まったため(通常の中間貯蔵施設は、隣の原発からの廃棄物のみを受け入れる)、住民の中に際限のない廃棄物受け入れ拡大の不安が広がりました。

さらに、ドイツの国全体としての最終処分場がいまだに決まっておらず、法律で決まっている40年という中間貯蔵施設への保管期間が延長される可能性が常に指摘されています。つまり、実質的な最終処分場化するという恐怖です。

8.決まらない最終処分場

 世界にある原子力発電所は現在4百数十基を数えます。しかし、よく知られているように、実際に稼働している最終処分場は一つもありません。唯一フィンランドに建設中のオンカロだけが実現の可能性の高い処分場です。
 ドイツでも、いくつかの候補が上がっては消え、いまは有力と言われる3つの場所で研究と実証が行われています。いずれも岩塩鉱などの地下の鉱山跡地の利用です。一番古くから名前が挙がっているのが、ゴアレーベンです。汚染の拡大が懸念されるため最終処分場には不向きと言われる水漏れが見つかって一時は候補から外されたこの場所もいつの間にか再び候補地に返り咲きました。このほか、モアスレーベンや今一番可能性が高いという説のあるコンラットなどが候補地です。

 
 (左がゴアレーベンの地下、右がコンラットの空撮 DBE社のWEBより)

 今回取材を行ったドイツの政権与党のエネルギー担当の国会議員が面白い話をしてくれました。
 かつて最終処分場をある場所に決めるというシミュレーションを行ったことがあるそうです。その時の結果、地元の説明や説得には30年かかるという結論だったといいます。最終処分場をきめるということがいかに大変かを物語っています。

 アメリカのオバマ政権も最終処分場として検討していたネバダ州ユッカマウンテンを地元の反対で断念しました。いま原発を持つどの国においても、最終処分場をどうするかが共通かつ最大の課題です。

9.まとめ

 わかっていながら解決できていない課題が、原発を取り巻く状況の中に散見されます。原発を停止したら何が起きるのか。旧東ドイツの巨大原発基地跡地では同じ問題が起き、そして、解決への努力も続けられていました。もちろん残された課題も少なくありません。

 私たちはこれら問題から逃げることはできません。そして、対応までの時間もそれほど多くは残されていないのです。知恵と自らの汗を持って、解決策を探すしかありません。

以上


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