2012. 6. 8 現地ルポ:世界最大の原発跡地を見る。
およそ2か月に及ぶ準備の後、3月初旬から4月の初旬までのそれぞれ10日間、2週間と2回に分けて現地取材を行いました。
足を運んだ原発は、ドイツの東北部のバルト海に近い、旧グライフスヴァルト原発基地です。22年経った今も解体と除染作業が続いています。さらに併設されている放射性廃棄物の中間貯蔵施設は新たな問題を生み出しています。
原発の解体、除染とは、いったいどういうことなのでしょうか。
発生する膨大な放射性廃棄物は、どう保管処理されるのでしょうか。
地元の町は、一体どうなるのでしょうか。
すべての答えが、現地にあります。
日本が脱原発を選択しようと、このまま原発を続けようと、すべての原発は必ずいつか廃炉となります。いずれにせよ、まもなく私たちはドイツで起きているような現実に直面しなければなりません。いったん原発を選択した限り、逃れることはできません。
合計1か月近い現地の取材の報告をお届けします。
2.グライフスヴァルド原発と廃炉の経緯
この原発基地は、かつての旧東ドイツで稼働していた5基の原発のうち4基を有し、他に1基が試運転中でした。さらに3基の建設が進んでおり、合計8基の巨大原発基地となる計画でした。
ところが、1990年の東西ドイツの統一で状況が一変します。旧ロシア製だった原発の安全性がやり玉にあがり、政治的決断を経て東ドイツのすべての原発の廃止が決定されます。
当時、この原発では、運転のために5千人、さらなる建設のために1万人の人たちが働いていました。運転を行っていた会社は、解体、除染の会社へと姿を変え、人員を6割削減して解体作業を担当することになりました。
簡単な旧グライフスヴァルト原発基地の概要です。
ドイツ東北部のメクレンブルク=フォアポンメルン州の小さな町ルブミンおよび他の2つの町にまたがり位置します。
敷地面積はおよそ200ヘクタール
1974年に1号機が運転を開始
ロシアの技術による加圧式の原発で、当時稼働中が4基、試運転中が1基
それぞれの発電能力が440MWで、廃止決定当時合わせて2200MW
当時の東ドイツの全電力の11%を賄う(近隣の小さな原発1基を含む)
(空から見た旧グライフスヴァルト原発:原子炉が2つずつ建屋に収められている。
手前から1・2号機と並び、奥の5・6号機、7・8号機は建屋が新しい。)
廃止決定後の経過はこうです。まず、原発の停止作業に5年間の歳月を要しました。続く解体除染作業は1995年にスタートし、17年後の現在まで続いています。これまでに費やしたお金は4000億円以上です。来年の半ばには、いったん解体作業が終了することになっています。しかし、実際には、建物のほとんどは残ったまま、また、使用済み核燃料や放射性の高い原子炉容器などは手が付けられず、隣接する中間貯蔵施設に保管されて、将来の除染作業と最終処分場への移送を待つことになります。
ところが、ドイツでも最終処分場がどこになるか、まだ決まっていません。中間貯蔵施設が本当に「中間」で留まるのかなど、地元の不安が残るままの状態が続いています。
解体と除染を行っているのは、先ほど書いたように東ドイツ時代にこの原発を管理運転していた有限会社です。EWN(Energiewerke Nord )といいます。当時5千人だった従業員を3年間で2千人まで減らし、解体と除染の専門会社へと転身します。その後、2000年には、ドイツ連邦財務省の100%子会社となり、さらにドイツ国内の他の原発関連施設を処理するために、それぞれの施設を子会社化しました。また、旧グライフスヴァルト原発の敷地内に中間貯蔵施設を建設してこれも子会社にしました。いわば、ドイツの原発廃炉のための国策会社になったわけです。
最初に手を付けたのは、施設の完全な停止の作業です。ドイツ語でStillegung(停止または閉鎖)と呼ばれるこの作業では、全体の解体除染計画の立案、許可の申請などから、実際の施設の停止とそれぞれの運転系統の切り離し、充填物などの撤去、施設のクリーンアップなどが行われました。具体的には、施設に張り巡らせられた配管などの切断も含まれます。
(カットされた配管:原子炉建屋からタービン建屋に送られる蒸気などの配管と思われる。)
○使用済みおよび使用中の核燃料の貯蔵
危険なため、非常に慎重に行われたのが、核燃料の処理です。もともとこの原発で使用されていた核燃料は、当初当時のソ連に運んで処理していました、途中からこの原発内に保管されるようになり、運転停止時で5000本を越える燃料棒が残っていました。
これらの核燃料は、いったん施設内の冷却プールに移され冷やされてから、キャスクと呼ばれる容器に収められ、敷地内に建設された中間貯蔵施設に1999年から運び込まれていきました。この核燃料に関する作業には1994年から2006年までの12年間を要しています。
キャスクへの移し替えの作業は大変危険で、すべてプール内で行われました。ちょうど福島第一の4号機の燃料棒の運び出しが話題になっていますが、破壊された施設内での作業は、気が遠くなるほどの危険度を伴うということを知っておく必要があります。
最大の放射性を持つ使用済み及び使用中だった核燃料以外にも、高い放射性の汚染を有するものが施設内にはたくさんあります。たとえば、核燃料を収めていた原子炉容器、原子炉を取り囲んでいた蒸気発生器などです。
一方で、発生した蒸気で発電を行っていたタービンは基本的に汚染の可能性が低くなっています。
この原発基地では、すべての建物を壊して更地にするということを目的にしていませんでした。ひとつは費用が掛かり過ぎすため予算として不可能だったこと。また、そのため、出来るだけ使える施設は残して別の目的に利用しようと考えていたことです。後者の例は、後で説明をします。
これまでの17年間の解体作業(述べたように建物分はほとんど含まれません。)で、合わせて180万トンの廃棄物が発生しました。もちろん、ほとんど汚染の無いがれきのようなものも含まれます。これは、今回の震災で東北地方に残ったがれきの総量の8%にもあたる量です。
これだけの量をそのまま廃棄するのは場所の点でもコストの点でも合理的ではありません。よって、作業の最大のポイントは減量ということになります。実際にこれを1%にまで減らすことを目標に解体除染が行われました。
○具体的な解体と除染
大型の設備は、設置場所から取り外され処理をされました。タービンの様に汚染が低いかほとんどないものはそのまま外されます。
一方で、汚染度の高い原子炉容器や蒸気発生器は、取り外しの後、いったん中間貯蔵施設へと運ばれて、そのまま放置されます。あまりに放射線量が高いのですぐには処分ができないのです。実際には今後20年〜30年の間施設に置かれて、人の手で解体できるまで線量が下がってから、初めて作業に取り掛かれるのです。つまり、原発の停止からほぼ50年間はただ放射線の値が下がるのを待つことしかできません。中間貯蔵施設の第7ホールには、この原発の5つの原子炉+旧東ドイツの他の原子炉の合計6基。ひとつの原子炉に6つずつある蒸気発生器が20数台(すでに一部解体されている。)が、線量が下がるのを待って並んでいました。
(隣接する中間貯蔵施設に並ぶ原子炉容器)
≪取り外し≫
2回の取材時に、原発の3号機内でちょうど蒸気発生器2台の取り外しが行われました。これは3号機の蒸気発生器で、他の原子炉の蒸気発生器はすべて取り外しが終わっているため、この結果この原発基地には3台の蒸気発生器が残るだけになりました。
(蒸気発生器の取り外し作業)
蒸気発生器は、核燃料が作り出す高温の熱を蒸気に変える装置で、蒸気はタービンに送られて電気を作り出すいわば燃料となります。ひとつの重さは156トン巨大です。これを巨大クレーンで吊るし、最終的に貯蔵施設へ運び出すのです。蒸気発生器は原子炉からの熱水を中に取り入れるため、取り入れ口周辺の汚染度は高く、実際に検知したところ1時間当たり154マイクロシーベルトを記録しました。これは、1年間に自然界から受ける放射線量を16時間で浴びてしまう量でした。
≪解体≫
除染を行うためには大きな設備を500kg以下までに切断しなくてはなりません。熱を使ってよいものはバーナーでその他はステンレスの切断機で行われます。ステンレスの歯は日本製でした。
切断は、1か所は4号機のスペースで、もう1か所はZAW(Zentrale aktive Werksttat:中央作業所)と呼ばれる除染場と同じ場所で行われています。このZAWは、原発稼働時の修理工場でした。
(4号機建屋内での熱交換機の切断作業)
≪除染≫
小さくされた除染対象物は、ZAWに運ばれて作業が行われます。
除染の方法は、大きく分けて3つです。「水洗浄」「研磨」「化学処理」。
すべて、EWN社がある意味でゼロから作り上げてきた方法です。非常に手間がかかるだけでなく、危険も伴うものです。
・水による洗浄
2000気圧という高圧の水噴射で放射性物質を洗い流すやり方です。
ただし、高圧水は危険なため、必ず2人一組で作業が行われます。
(2000気圧の水による高圧洗浄)
・研磨
ステンレスの細かい粉を対象物に吹き付けて表面をこすり磨くことです。
実際にこの作業が行われると対象物は新品の様になります。
これも危険を伴うので同じ労働者が1日に2時間以上行うことができません。
・化学処理
強い酸などの液体に対象物を浸して、表面を化学的に洗います。
作業員の危険はさらに高く、防護服も特殊です。
(化学的な除染作業)
除染を終えた対象物は、必ず検査場に運ばれ汚染度のチェックが行われます。ここで基準をクリアしたものは、金属を中心に外の業者に売却されます。ある意味でリサイクルを行っているのです。
一方、基準を越えたものは、再び除染場に戻されるか、いったん中間貯蔵施設に送られて、線量が下がるのを待つことになります。
4.Part1のまとめ
22年前に廃止が決まった原発は、今も解体作業が続いていました。
5年間の停止、17年間の解体と除染は、原発を廃炉にするという作業過程全体のまだ一部でしかないのです。今後も順調に工程が進んだとしても、今、中間貯蔵施設に置かれている原子炉容器と蒸気発生器の解体と除染が終わるのは、たぶん30年後になるでしょう。
そして、これらが全部終わったとしても、まだ残った仕事の方が多いということに気づきます。中間貯蔵施設には大量の使用済み核燃料がキャスクに入ったまま残されているのです。最終処分場にこれらがすべて運び込まれて初めて地元にとっての「廃炉」が終了します。
すでにお話ししたように、ドイツでも最終処分場がどこになるか決まっていません。というよりも、世界中のどこにも実際に稼働している最終処分場は無いのです。この旧原発基地の地元の町では、中間貯蔵施設の保管年限40年を政府が80年に延ばそうとしているという噂が飛び交っていました。
ドイツには日本の電源三法のような、原発を設置するとじゃぶじゃぶお金が落ちるシステムはありません。さらにこの原発は旧東ドイツの国営の原発だったため、税金すら入りませんでした。
それにもかかわらず、地元の町は原発を止めた後も、放射性廃棄物の中間貯蔵施設という名の「原発関連施設」とさらに長い間付き合わなくてはなりません。もちろん、最終処分場では、万単位の年月が必要になります。
次のリポートでは、この中間貯蔵、最終処分の問題を、地元の人たちの思いも含めてお届けします。
今回の取材で、人口2000人余りの地元の小さな町ルブミンの元町長で今はドイツ連邦の国会議員となっているリーツ氏に話を聞く機会を得ました。
ベルリンの国会に見学に来る小学生たちから、彼はよくお願いをされるのだそうです。
「リーツさん、”すぐに”原発を止めてください。」
彼は、いつも同じように、子供たちに答えるといいます。
「私はね、このグライフスヴァルト原発を”すぐに”止めるお仕事を、もう22年間もやっているんだよ。」と。
以上
JAPAN RENEWABLE-ENERGY
RESEARCH INSTITUTE : JRRI
略称:再生エネ総研
〒224-0001
横浜市都筑区中川2-9-3-403
2-9-3-403, Nakagawa, Tsuduki-ku, Yokohama-city 224-0001 Japan
WEB: http://www.jrri.jp
MAIL: info@jrri.jp
Twitter: @kit_jrri